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【新日本プロレス 人気】国際プロレス伝 ラッシャー木村、「金網デスマッチの鬼」と呼ばれた男

2017-04-01 12:40:02


 力道山を彷彿とさせる黒タイツ姿で「金網デスマッチの鬼」と呼ばれ、長きにわたって国際プロレスのエースとして君臨。「国際軍団」「国際血盟団」でも大将として活躍したラッシャー木村は、最後まで国際プロレスの看板を守り抜いた。新日本プロレスに乗り込んだ「田園コロシアム事件」は、ビートたけしによって「こんばんは、ラッシャー木村です」とギャグにされると、一気にプロレスファン以外にも大ブレイク。朴訥(ぼくとつ)としたマイク・パフォーマンスで人気を集めた男の素顔に迫る――。【写真】美しき「女横綱」■国際プロレスのエース・ラッシャー木村(1)

 4人兄弟の末っ子として北海道で生まれた「ラッシャー木村」こと木村政雄は、地元の北海道天塩(てしお)高校を中退したのち、大相撲・宮城野部屋へ入門した。角界入りしたのは、本人いわく、「相撲好きの兄と部屋の稽古を見に行ったら、親方(第43代横綱・吉葉山)に、『いい身体しているな』と言われ、ちゃんこをご馳走になった手前、断れなくなった」からだという。

 そして1958年3月、「木ノ村(きのむら)」の四股名で初土俵を踏むと、幕下20枚目まで一気に昇進。ところが1964年、9月場所かぎりで廃業した。そのときの理由は、「プロレスラーになるための基礎体力づくりとして相撲をやってきたが、十両になったら辞められなくなるから」。入門時と同様、まじめで一途な木村らしさを感じさせるエピソードだ。アニマル浜口はこう語る。

「木村さんは角界から来たでしょ。(相撲界では)かなり期待されていた若手で、あのままやっていたら、十両や幕内はもちろん、三役、その上まで行ったかもしれなかったそうです。

 相撲で鍛えられているから、とにかく頑丈でした。身体の強さはケタ外れで、国際プロレスで文句なくナンバー1だったんじゃないですか。メチャクチャ強くて、特に顔なんかすごかったですよ。こっちがどんなに力いっぱい顔を叩いても、張っても、ビクともしない。それどころか、しまいにはこっちの手がしびれあがって、真っ赤に腫れたものです。もちろん、相撲時代に四股やすり足をしっかりやっているから、下半身も安定していました」

 大相撲廃業から1ヵ月後の1964年10月に日本プロレス入りを果たした木村は、翌年4月、東京・渋谷のプロレス会場「リキ・スポーツパレス」にて高崎山猿吉(たかさきやま・さるきち)戦でデビューを果たした。だが、大相撲の先輩である豊登(とよのぼり)の付き人をしていたことから、1966年には豊登による東京プロレス旗揚げに参加。翌年、東京プロレスが崩壊すると吉原功(よしはら・いさお)に誘われ、国際プロレスに移籍した。ちなみに、リングネームを「ラッシャー木村」へと変更したのは、国際プロレスに移ってからである。

コメント数 31 *複数のAPIを使いコメント保存しています。

アメマ 2017-04-01 11:43:09

藤波の次はこれを楽しく読ませてもらおう


sun***** 2017-04-01 11:48:19

昔のプロレスラ―のほうがキャラが濃かったなぁ。藤波の後はハードル高いけど、次に期待!


nag***** 2017-04-01 11:56:41

何故ラッシャー木村さんは、UWFに所属してたんだろ? 写真で前田日明 高田と一緒にいる写真を見るたびに疑問に思う。


zup***** 2017-04-01 12:20:30

猪木が合流する予定だったから?
ガチンコが強かったから?


hea***** 2017-04-01 16:38:04

剛竜馬もそうでしたね。


tet***** 2017-04-01 17:16:47

旧UWF会長の新間寿が誘ったからです。
もちろん、後に猪木が合流するという説明は受けていましたが、それよりも恩人である元国際プロレス社長の吉原功に敬意を払い、吉原に対して色々と心遣いしてくれていた新間に対して、木村はとても義理を感じていました。
だから、旧UWFから新間が追放されると、同じく新間派だったグラン浜田と共に旧UWFから離脱します。
旧UWF離脱後、全日本に参戦しましたが、木村を馬場に繋いでくれたのも新間です。
とにかく義理堅い木村に対して、新間も義理で返した訳です。


jid***** 2017-04-01 12:03:24

アニマルの話ばっかじゃん!

でも高崎山猿吉(たかさきやま・さるきち)には笑った


hea***** 2017-04-01 16:36:29

北沢さんですね。昔の日プロは何故か動物の名前を使ったリングネームが多かった。


jad***** 2017-04-02 09:40:38

レフェリーの魁さんの方が通りがいいかな?
しかし豊登はホントに人間のクズだな。


ボスはブラインドから 2017-04-01 12:26:21

木村健悟のトペ事故のことも
ハマさん語るかなあ


tty***** 2017-04-01 12:35:34

猪木VS木村・浜口・寺西。
新日移籍後は1対3なんていう屈辱的な試合までやらされて「会社が潰れるとはこういうことだ」と見せつけられた。
身体が大きくて相撲で幕内まで上がった木村。選民思想を持ってた当時の新日じゃなかったらもう少し上手く使ったのでは?


mas***** 2017-04-01 12:39:49

見るからに人情味ある木村さん。連載を楽しみにしていますが、ネット記事ですので、〝脱線”は短めにお願いします。


正義の巨人ファンのミスター読売 2017-04-01 12:41:05

*このコメントは削除されました。


ポニポニ 2017-04-01 12:53:17

馬場さんとの兄弟タッグが懐かしい


kai***** 2017-04-01 12:59:35

ヘッドバッド~クロスチョップ~ブルドッキングヘッドロック~ボストンクラブ
木村さんのフルコースだったなぁ
新日本や全日本ではラッシングラリアートも使ってた
懐かしい・・・


kid*********** 2017-04-01 17:06:52

普通はでかい態度他のリングに上がって、いちゃもんつけたりするんだけど、この人はそんな演技もできない律儀な人だった


bac***** 2017-04-02 19:10:52

浜口と寺西が維新軍に行ったあと、一人孤独にリングに上がっていた木村
UWFに行ってなければその後猪木とタッグを組んでいたのではないかと妄想する


純情ブー太郎 2017-04-01 13:04:31

ラッシャーさんが一番気の毒


sss 2017-04-01 13:23:03

国際プロレスについては新日本プロレスに「はぐれ国際軍団」として参戦するまではプロレス団体が複数も存在する事すら知りませんでした。


unde***** 2017-04-01 15:57:45

でも、国際プロ崩壊時に、
最後の最後に、吉原氏を
裏切って、新日へ行ったのは浜口。
だから、未だに、国際OBからは
避けられている。


jad***** 2017-04-02 09:38:13

ラッシャー木村はその生真面目な性格だから金網デスマッチも断れなかったんだよね。でも実際にはそんなに凄惨な試合になることもなく、ただただ客席から見えずらい試合形式だったな。
後年、馬場という生涯の恩人に出会えて、大輪の花を咲かせられて、凄く幸せなレスラー人生だったのではないだろうか。
あのまま新日にいても使い潰されてあっという間にポイされていただろう。


tet***** 2017-04-02 06:29:54

日本人で初めて「金網」に入った男、ラッシャー木村(海外マットでもそれ以前にケージマッチを経験した選手は多分いなかったと思う)。
「金網の鬼」とは言い得て妙で、そもそも木村は本来であれば国際プロレスのエースになる男ではなかった。
木村は大相撲廃業後、日本プロレスに入門。豊登の誘いで東京プロレスの旗揚げに参加し、東プロ崩壊後、国際に参加している。言ってみれば「外様」だ。
国際社長の吉原功は「生え抜き」「外様」と言った差別をする様な人間ではなかったが、普通の感覚であれば、自らの団体のエースには生え抜き選手を据えようと考えるのは当然の話だ。
国際旗揚げ時、吉原が将来のエースとして期待していたのは、旗揚げ時に入門してきたストロング小林だった。
国際に途中参加した木村は、加入後間も無くリングネームを本名から、吉原の命名で「ラッシャー木村」に改名する。
〜続く〜


tet***** 2017-04-02 06:33:51

-3-
日本初の金網デスマッチに木村が選ばれたのも、その2ヶ月前に木村は米国より帰国しており、凱旋試合の意味合いがあったこと。
金網マッチは選手が通常より興奮状態に陥る場合があり、思わぬ負傷や事故が起こる恐れがあるため、身体的に頑強な木村を選んだこと(実際、2ヶ月後の第2戦にして、木村は左足を複雑骨折した)。
それと、そもそも金網マッチはデスマッチであり、正統派スタイルの試合形式ではない。
(現にエース小林が金網マッチに初めて挑んだのは、木村が金網マッチを経験してからの1年後、各地プロモーターの要請から、本来単発予定だった金網マッチが国プロに定着し始めた頃である)
つまり、吉原は「ベビーフェイス」小林に対して木村を「ヒール」のポジションに置くことを考えていたのではないか?


tet***** 2017-04-02 06:35:13

-4-
小林と木村の日本人ライバル対決のアングルの中には、金網マッチで、エース小林が木村に敗れたり、また、リマッチにて小林が「金網の鬼」に勝利する様な構想があったと思う。
しかし、そんな吉原の構想も、小林の国際離脱-馬場・猪木への挑戦表明で水泡と化す。
エース小林が離脱した国際は観客動員が低下。興行的理由により金網マッチに頼らざるを得ず、それに比例して木村の金網マッチの数は増加の一途となった。
「国際のエース」IWA世界王者の座も、小林離脱後、外国人エースのビル・ロビンソン、正統派テクニシャンのマイティ井上と引き継がれたものの、興行の目玉であり、観客動員力が最もあるのが金網マッチである以上、木村がその座に就くことは自然の流れであったと言える。


tet***** 2017-04-02 06:38:21

-5-
しかし、なぜ吉原は木村を小林の「ヒール」ライバルとして育成しようと思ったのか?
頑強な身体に加え、大相撲出身でありながら「シュート」の実力を身につけるためにサンボの習得に勤しむ研究熱心さ。そして何より義理堅い真面目な性格。これらはプロモーターが最も信頼する「ヒール」の条件に合致するものだ。
あと...木村さんは華がなかったよね、やっぱり(苦笑)

かくして木村は、数々の運命のアヤに流されながら「金網の鬼」となり、国際プロレスの「最後」のエースとなったのであった。


shi・・・ 2017-04-02 13:37:01

数年前、新日本プロレスの昔の試合をCSでやってて、あの「こんばんは」発言の模様を初めて動画で見たけど、のちのラッシャーさんを知ってて見ると、あの発言は人柄から出たもので仕方なかったのかな、とも思えた。

ただ観客からは失笑も聞こえてくるので、さすがにマズイと思ったのかアニマルさんがマイクを引き取って挑発するような発言をしてるのも印象に残る。そりゃそうだ。国際プロレスが崩壊して、たった3人で新日に乗り込んで軍団抗争を仕掛けようという時なんだから笑われて終わりでは自分たちが消えてしまうし。

でも言ってる相手が今よく見たら、これから試合でリングにいたタイガー戸口っぽいんだよなぁ。かつて国際のリングにも上がってたから旧知の間柄なのか、アニマルさんもマイクアピールしたあと戸口に対しニヤリとしてる様子も映ってるし。

この日はアンドレ対ハンセンの伝説に残るシングルマッチもあったし、熱い時代でした。


SEVENSWORD 2017-04-01 16:38:00

淵〜〜ィ………お前早く嫁もらえよ〜〜
淵〜〜ィ………俺は、心配してんだよ〜〜っ
(~_~;)


tak***** 2017-04-01 15:33:00

ラッシングラリアット!!


働かんでも食うて行けるからヤフコメ三昧 2017-04-01 15:39:30

全日の福岡大会では

馬場に

アニキ!試合終わったら明太子食べような!

って言ってたわな。


hir***** 2017-04-01 20:53:37

犬が大好きだったなぁ〜!


jad***** 2017-04-02 09:47:18

新日に参加していた時にいろんなものを家に投げつけられて
ストレスで脱毛症になった可哀想なワンちゃんだな。
「近頃の子供はしつけがなってない」と怒っていた。






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