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【大学 偏差値】受験と私 「ニホニウム」発見チームの加治大哉研究員 「人生の分岐点だった」

2017-01-01 10:50:01


 2016年のビッグニュースともなった新元素「nihonium(ニホニウム)」(原子番号113番、元素記号Nh)の命名。それに関わった理化学研究所のチームに準備段階から加わり、新元素の発見というアジア初の快挙に貢献した加治大哉研究員は、大学受験は「人生の分岐点だった」といいます。アカデミックな雰囲気の中で学問への意欲と夢をはぐくんだ少年時代、周期表との運命の出合いについて聞きました。【聞き手・兵頭和行】

 ◇二者択一に悩む

 子供の頃は、一つの目標として科学者になりたいという夢がありました。アニメに出てくる「博士」と称する白衣を着た登場人物を見て、博士になりたいという気持ちを抱いたのかもしれません。野球や水泳などの運動も大好きでしたので、スポーツ選手になれたらなとか、いろいろな夢を持っていました。

 中学、高校では個人塾に通い、勉強に対する姿勢を学びました。5~10人くらいの小規模な塾で、先生は友人のお父さんだったのですが、大学で教育学の教壇に立つような方で、ものすごく厳格。数学の答案も美しく回答するよう指導を受け、勉強に対して、どういうふうに取り組むべきか教えてもらい、向上心がどんどん湧いてきました。周りに大学の先生ってなかなかいないですよね。信念を持っていて、そういう雰囲気を出していた。そういう人物に近づくためには自分も勉学に励まなくては、という気持ちになりました。

 化学を意識し始めたのは、高校時代の物理や化学の先生にものすごく影響を受けたためです。通常、物理や化学の授業は板書中心で、進学校であればあるほど実を伴わない教育なのではないかと思いますが、私のいたところはやたらと実験をやらせてくれた学校で、自分で経験して学ぶということを重視する大学の授業のような雰囲気がありました。自分の研究者への道という意味で、きっかけを与えてくれたというか、学問のおもしろさみたいなものをそこで感じました。ある時、おもしろい実験をやりながら、もっと化学や物理のことを究めて教えられるような先生になりたいと思って、科学者か教育者になれないかなと進学を意識するようになりました。

 高校ではバレーボールの部活に打ち込んでいたので、受験に特化した勉強は高校3年の夏以降です。学校の先生が提案してくれた勉強方法に素直に取り組みました。英語は短い英文からなる問題集を音読して和訳し、それをひたすらどんどん繰り返すという、ものすごく単純なことを意識してやりました。数学も学校で使っている問題集を何回もループしながら取り組みました。ただ、化学は大好きだったので、ありとあらゆる資料集から受験向けの補助教材まで、隅から隅までもうぼろぼろになるまで読み尽くしました。社会も好きで、受験とは関係のないようなところまで知識を入れていました。自分の子供にその時、使っていた本を見せたら「なにこのぼろぼろの本」と笑われてしまいました。

 将来は科学者か教員になりたいと思っていたので、志望校を決める段階では、京都教育大か新潟大理学部化学科の二者択一でどちらを受けるか悩みました。センター試験が終わった時点で、お世話になった化学の先生に相談し、教員になるにしても、専門的に化学を勉強した方が将来的にいいのではないかとアドバイスを受けました。確かに化学の先生になるにしても、教育学部の化学を出るのと、理学部で化学という学問を本質的に勉強するのとではカリキュラムも違うので、やっぱり化学をやりたいということで新潟大を選択しました。

 ◇運命だった周期表との出合い

 そもそも私のモチベーションのよりどころは、化学の教科書の1ページ目を開いて元素周期表に出合ったところで決まりました。学校レベルだと「水兵リーベ僕の船」(周期表を覚える語呂合わせ)で覚えて、せいぜいカルシウムくらいまでですが、元素ってたくさんある。大学に進学したらいろいろな元素を使って実験をやりたいと想像しました。大学では分析化学の実験で、必ず定性分析といって元素を化学的に分離するという実験をやるのですが、自分の手を動かして化学分離したいとか、分析したいとか思い描いていました。化学の1ページ目をめくったところで、何かひっかかるようなものがあり、もっとこれを深く、それの本質に迫れるような学問をしたいと思いました。

 大学に入って、自分の選択が間違っていなかったと実感しました。新潟大理学部化学科には、重元素を対象とした化学を専門とする数少ない研究室がありました。現在、重元素化学関係の研究室がある大学は、大阪大、金沢大、新潟大の3校。その一つを自分は選んで進学しました。想像以上だったのは、日本を代表する科学者、工藤久昭先生(新潟大教授)に出会い、重元素化学分野をひっぱっている先生を目の当たりにし、そこでまさに自分のやりたかった周期表の化学というものを学ばせてもらったことです。手取り足取り教えるような先生ではなく、こういう世界があるよというものを見せてもらい、考えることの大切さを学びました。それがつながって今に至っています。

 受験での一番の思い出は、自分の今の人生の選択をしたということです。一番の分岐点でした。自分の感じるままに動いたのが結果的によかったのだと思います。自分の本当に素朴に思っているやりたいことを追求していった。それが受験だったということだと思います。研究所にいると見学の中高校生が来て、「どこの大学に進学したらいいですか」という質問を受けるのですが、例えば成績のいい人だと一流の大学とか、偏差値で大学を決めるということもあるかもしれませんが、まず自分の興味のある分野を見つけて、どこでそういう研究をやっているのかを調べて、志望校を見付けるのがいいと思います。

 ◇かじ・だいや

 1974年京都府生まれ。93年府立西宇治高校(現城南菱創高校)、97年新潟大学理学部化学科卒業。2003年新潟大大学院自然科学研究科博士後期課程修了。博士(理学)。東京大原子核科学研究センター、理化学研究所の博士研究員を経て09年から理研仁科加速器研究センター仁科センター研究員

コメント数 13 *複数のAPIを使いコメント保存しています。

ake***** 2017-01-01 10:36:17

苦労も多いでしょうが、研究一筋でとても羨ましいです!
僕は中学校の理科で頑張ります!


kao***** 2017-01-01 10:44:03

受験勉強に対して否定的な意見もあるけれど、どこかで頑張る事が出来る人間を育てるという意味では、大切な通過点だと思うよ。


がめら 2017-01-01 10:46:24

若い時に、自分の目指す方向が見つけられた人は、幸せです。
日本の今の教育は、皆、平等、平均を目指すもので、この先、不安です。
いろんな人が居ていい。
理科の出来る子、走るのが早い子・・・。
多様性こそが、この先の人類の生きる道なのに、日本の教育は否定している。
もっと大々的に、素晴らしい発見という事を発表してほしい。


sei***** 2017-01-01 14:25:54

多様性がもっと教育現場で認められれば、もっと驚くべき結果を出す未来の科学者たちが生まれると思います。
そうなればいいですね


あいうえお 2017-01-02 10:39:19

てゆうか戦後の日本はずっとそれで来てるよね
右へ習えで、普通の子、利口な子を目指してきた


yam***** 2017-01-01 11:05:33

新年を迎えていい記事に出会いました(^_^)/


mad***** 2017-01-01 11:18:47

こういう人はほんの一握り!

訳分からずただ勉強したあげく、ブラック企業に入ったりフリーターまたは無職になる(p_-)

現実現実(笑)


ron***** 2017-01-01 12:30:27

それは 現実逃避 と言うんじゃありませんか?


kin***** 2017-01-01 12:12:38

本当に化学やる人は、周期表は「Hでリッチなかーちゃん・・・」から
始まるよね(笑)


でんでこでん 2017-01-01 12:13:12

やはり、長いこと夢を持ち続け、努力を継続することですね。素晴らしいです。学問万歳(ノ゜∀゜)ノ


J( 'ー`)し 2017-01-01 21:14:44

すぐに消えちゃう元素なんやろ?


bra***** 2017-01-02 06:06:52

子供の頃の学習塾にしろ、高校時代の受験勉強にしろ、先生の言うことを聞ける素直さを持っていたんだなと感じました。それはとても重要。学生時代の自分にはありませんでした…。


zek***** 2017-01-02 12:52:37

>隅から隅までもうぼろぼろになるまで読み尽
>くしました。
>自分の子供にその時、使っていた本を見せた
>ら「なにこのぼろぼろの本」と笑われてしま
>いました。

やった人は持ってるんだよなぁ。






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